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待場のメディア論

おはようございます。

医師のキャリアプランを実現するために

転職やクリニック開業などのシーンで支え続ける

ジーネット株式会社の小野勝広です。

メディアの劣化が叫ばれて久しいですが、

マスゴミと呼ばれる理由は

やっぱり業界の内側にあるんだと思います…。

本日のブログのタイトルは、

【 待場のメディア論 】 といたしました。

本書をピックアップした理由

『 待場のメディア論 』

内田 樹 光文社新書 を読みました。

敬愛する内田樹氏の著書は

ふと何か気になる事があるとすぐに読みます。

また私の本棚には

読んでいない内田さんの本は山積みですので(笑)。

かなり読んできてるんですけどね~。

え~、さて、メディア論。

テレビも新聞もネット上も

メディアについては疑問に思うところは

正直少なくありません。

もう役割を終えたのではないか?とすら

思う事もしばしば…。

記者会見が行われた時の記者の質問。

これも首を傾げる事が多いです。

はあ?なんでそんな事を聞くの?

ちょっとその質問は失礼すぎるんじゃない?

もちろんだから消えてなくなれとは思いません。

社会的な役割はあるはずです。

ただ今のポジショニングはもう古いかな…と。

こんな事を考えていたので

内田さんのメディア論は是非とも読みたく、

学ぶ気満々で手に取ったのでした。

目次

第1講 キャリアは他人のためのもの

第2講 マスメディアの嘘と演技

第3講 メディアと「クレイマー」

第4講 「正義」の暴走

第5講 メディアと「変えないほうがよいもの」

第6講 読者はどこにいるのか

第7講 贈与経済と読書

第8講 わけのわからない未来へ

感想

はい、案の定ですが、

衝撃的な学びを頂きました。

メディア論なのに

キャリアの話しからスタートして

え?なんで…と思いながらも

このキャリア論は絶品でした。

それと内田さんの著作権に関する考え方は

私は共感するところ「大」です。

結局、市場主義だか、

グローバリズムだかわかりませんが、

市民を「消費者」と位置付けて

むしろ「消費者」以外の人間性を

私たち自身が放棄してしまっている事が

最大の問題なんですよね…。

消費者ってのは我々のごく一面だけ。

その点を最大化してしまうから

回り回ってみんな損している…。

私たちは消費者以外の自分を大切にすべきだし、

社会のすべてをコストパフォーマンスで計るから

どんどん世知辛い社会になっていく訳ですね。

今回はもちろんメディア論が中心ではありますが、

キャリアと医療についても

かなり触れられています。

私にはその点が大変に興味深く、

なおかつとんでもなく勉強になりました。

それでは恒例の私がグッときた箇所のご紹介です。

勤め始めてすぐに仕事を辞める人が

口にする理由というのは、

「仕事が私の適性に合っていない」

「私の能力や個性がここでは発揮できない」

「私の努力が正当に評価されない」

だいたいそういうことです。

僕はこの考え方そのものが間違っていると思います。

仕事っていうものはそういうものではないからです。

みなさんの中にもともと備わっている

適性とか潜在能力があって、

それにジャストフィットする職業を探す、

という順番ではないんです。

そうではなくて、

まず仕事する。

仕事をしているうちに、

自分の中にどんな適性や潜在能力があったのかが、

だんだんわかってくる。

そういうことの順序なんです。

(P.17~18)

与えられた条件のもとで

最高のパフォーマンスを発揮するように、

自分自身の潜在能力を選択的に開花させること、

それがキャリア教育のめざす目標だと

僕は考えています。

(P.21)

教育の場に長くいた人間として、

僕が経験的に言えることは、

先ほども申し上げたように、

人間の潜在能力は

「他者からの懇請」によって

効果的に開花するものであり、

自己利益を追求するとうまく発動しないということです。

平たく言えば、

「世のため、人のため」に仕事をすると

どんどん才能が開花し、

「自分ひとりのため」に仕事をしていると、

あまりぱっとしたことは起こらない。

(P.28~P.29)

彼らのような未成熟な市民が

大量に生み出されたことによって、

日本の市民社会のインフラの一部は

短期間に急速に劣化しました。

特に、医療と教育がそうです。

どちらも制度的な崩壊の寸前まで来ています。

それは医療と教育という、

人間が育ち、

生きてゆくうえでもっとも重要な制度について、

市民の側に

「身銭をきって、それを支える責任が自分たちにはある」

という意識がなくなったからです。

市民の仕事はただ「文句をつけるだけでよい」、と。

制度の瑕疵をうるさく言い立て、

容赦ない批判を向けることが市民の責務なのである、と。

批判さえしていれば、医療も教育も

どんどん改善されていくのである、と。

そういう考え方が社会全般に蔓延したことによって、

医療も教育も今、崩れかけています。

(P.71~72)

結果的に専門病院に患者が集中し、

医師もナースもオーバーワークになり、

トラブルが発生し、

医師たちが病院を去る…という

「負のスパイラル」に入っています。

その根本には、医療機関と患者の間には

「利害の対立がある」という考え方が

広く常態化したことがあると僕は思っています。

そして、この医師と患者は「対立している」という

図式の流布に明らかに日本のメディアは

深くコミットしてきました。

(P.74~75)

なぜ、メディアは

とりあえず弱者の味方をしなければいけないのか、

メディアはその問いをたぶん自分に向けたことがない、

そうするのが当たり前だと思っていて、

惰性でそうしている。

そういう種類の思考停止のことを

僕は先に「知的な劣化」と呼んだのです。

(P.81)

「なぜ、自分は判断を誤ったのか」を

簡潔かつロジカルに言える知性が

もっとも良質な知性だと僕は思っています。

(中略)

けれども、この知性観を

日本のメディアは採用していません。

メディアにかかわる人の過半は、

自分が仮に間違っていた場合でも、

それを認めずに言い抜けることを

むしろ知的なふるまいだと思っている。

(P.84)

メディアの「暴走」というのは、

別にとりわけ邪悪なジャーナリストがいるとか、

悪辣なデマゴーグに

メディアが翻弄されているとかいうことではありません。

そこで語られることについて、

最終的な責任を引き受ける生身の個人がいない、

「自立した個人による制御が及んでいない」ことの

帰結だと僕は思います。

(P.94)

社会制度の中には商取引の比喩では

論じることのできないものもあるということは

忘れない方がいい。

さしあたり、

「市場経済が始まるより前から存在したもの」は

商取引のスキームにはなじまない。

(P.107)

人と付き合うときに知るべきことは、

その人が「ほんとうはなにものであるか」よりもむしろ

その人が「どんな人間であると思われたがっているか」

に決まっているからです。

(P.162)

今遭遇している前代未聞の事態を、

「自分宛ての贈り物」だと思いなして、

にこやかに、かつあふれるほどの好奇心を以て

それを迎え入れることのできる人間だけが、

危機を生き延びることができる。

現実から目をそらしたり、

くよくよ後悔したり、

「誰のせいだ」と他責的な言葉遣いで現状を語ったり、

まだ起きていないことについて

あれこれ取り越し苦労をしたりしている人間には、

残念ながら、

この激動の時期を生き延びる

チャンスはあまりないと思います。

(P.207~208)

本作品も学ぶ点が非常に多かったです。

突き詰めるとやっぱり「本質」が大事なんですよね。

そしてメディア論の最大の欠点は

メディア自身が自らの本質を考える事を

避けてしまっている事なのですね。

ビジネスでしか物事を考えずに、

メディアの本来的役割を追求していない…と。

ま、これはメディアだけの問題ではなく、

あちこちの業界でも同様かもしれませんが…。

評価

おススメ度は ★★★★★ と満点といたします。

もう読む価値が絶対にあります。

メディア論としても

他にはない見解が満載で

目を開かせられる思いですし、

キャリア、医療、教育、著作権など

多角的に現代社会を理解する手助けとなる事

間違いなしです。

医師をはじめとした医療従事者の方々

医療をこのように捉えている人がいるんだ…と

安心なさるのではないかと考えます。

絶賛おススメです。

それでは、また…。

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