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ブルシットジョブから脱却しましょう!

2024年7月3日by gnetdoctor

 

おはようございます。

医師が転職や開業を通して
より良い未来を手にするために
キャリアプランの重要性を発信し続ける
ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

いつの世も社会は変わり、
時代は移ろい続けるものですよね。

企業戦士と言われた人たちが
働かないおじさんと言われたり、
まあ必ずしも同じ人ではないですけど
何だか切なさを感じたりします。

今、やいのやいの言ってる若者も
あと20年もすればその時の若者から
どんな評価を受けるのかわかりません。

社会も時代も変わっていくことを前提に
自分自身を磨き続けるしかありませんよね。

仕事をやらされと考えると
どんどん辛くなっていきます。

でも少し考え方を変えるだけで
同じ仕事が面白くなったりもするものです。

主導権を仕事に渡すのではなく
自分がしっかり握ってみると
モチベーションが自動化していくのですね。

 

本日のブログのタイトルは、
【 ブルシットジョブから脱却しましょう! 】
といたしました。

 

<目次>
1.ブルシットジョブの根本的な要因
・資本主義の限界?
・キャリアの軽視?
2.ブルシットジョブからの脱却
・人生設計とキャリア設計
・仕事、労働から活動、働くへの転換
*まとめ

 

 

 

1.ブルシットジョブの根本的な要因

ブルシットジョブ…。
最近、様々なシーンで耳にすることが増えました。

くそどうでもいい仕事…。
まあよりによってそこまで言うか?と(笑)

アメリカの人類学者である
デヴィッド・グレーバー氏がネットに投稿したところ
あまりにも反響が大きくて
致し方なく詳細を著書に書いてみたら
世界中で広まったようです。

デヴィッド・グレーバーは
ブルシットジョブの定義を…

被雇用者本人でさえ、
その存在を正当化しがたいほど、
完璧に無意味で、不必要で、
有害でもある有償の雇用の形態である。

とはいえ、その雇用条件の一環として、
本人は、そうではないと
取り繕わなければならないように感じている。

このように表現しています。

エモーショナルに受け止めれば
わかる、そうだよね、わかるよ~とでも
言いたいところではありますが、
私は正直自己責任も大きいのではないかと考えており
今回はあえてブルシットジョブについて考察してみます。

SNSではよく使われますけど
意外とリアルでは使われず、
実はただのガス抜きになっているようにも思えます。

 

・資本主義の限界?

皆さんは自分の仕事を
ブルシットジョブだと思いますか?

もし心からそう思うならば
すぐにでも考え方を改めたほうがいいかもしれません。

ま、どのように考え方を改めるかという点は
かなりのエクスキューズがありますけどね。

少し大きな話しをすると
資本主義を突き詰めると
ブルシットジョブは増えるように思います。

なぜなら資本主義は営利を得るためなら
極端な話し、何でもする宿命を背負っています。

言葉は悪いですが
資本家にとっての労働者は
今でも奴隷とそう変わらないんじゃないでしょうか。

少し極論ではありますが
究極的にはですけど
そう言ってよい経済システムであると思うのです。

働いて給料がもらえるならば
ブルシットジョブで何の問題があるんだ?

そんなことはおくびにも出さないように
内心ではそう考えている資本家は
実は少なくないかもしれません。

そうでないと
業績が悪化したら
すぐに早期退職制度などを実行したり
普通はできないと思うんですね。

もちろんなかには真っ当な資本家も存在していて
資本主義に対して戦いを挑み
働く社員たちの未来を共に作り上げようとする
立派な方もいらっしゃるとは思います。

しかし金儲けのためなら
多少の犠牲はやむなしと考えている資本家のほうが
多いのではないかとすら感じられます。

以上のことから
資本主義社会が成熟する過程の中で
ブルシットジョブが蔓延する素地があるのではないか?

私にはそう思えるのですが
いかがなものでしょうか?

どこかの総理大臣が
新しい資本主義と打ち出したはいいですが
結局、何もできていません。

そんな偉そうに経済システムを語るほど
私は経済を勉強しているとは言えませんが、
本来、経済とは経世在民の略であり
民を救うのが目的のはずです。

しかしグローバリズム以降、
民を叩き、民から吸い上げるという
何だかおかしなことになっているように思えるのですね。

これがブルシットジョブを生み出す
根本的な要因のひとつではないでしょうか。

 

・キャリアの軽視?

社会の仕組み、構図・構造上として
私はブルシットジョブが存在してしまうのは
ある部分では致し方ないと思うのですが、
これはあくまでも社会の仕組み、構図・構造上の問題です。

個人で抗おうとしても
なかなか簡単ではありませんし、
一般常識に捉われていては
行動を起こすのも相当に勇気がいるでしょう。

むしろ常識外れで
人がどうこう言おうと気にせずに
自分の心地良さだけを追求するような
少し変わり者の人でないと難しいかもしれません。

ではここでブルシットジョブを
「キャリア」という観点から考えてみると
どうでしょうか?

まずは極論から入ります。
すべての仕事はブルシットジョブである。

このように定義したらいかが思われますか?

そんなことないだろう…と思う人が多いとは思いますけど
実は捉えようによっては成立してしまうのではないかと
私は危惧しています。

これは「仕事」そのものを中心に考えるのではなく
「働く」我々を中心に考えた場合には、
モチベーションが低くて
働くエネルギーが低くて
やる気がないのであれば
どんなにやり甲斐や働き甲斐のある仕事でも
ブルシットジョブになってしまうと思うんですよ。

仕事自体は「事に仕える」と書きますし、
いいも悪いも仕事は仕事、
それ自体に特別な価値があるわけではないし、
お客さんに喜んでもらってフィーをいただくために
組織のなかで役割分担をしているだけだと思います。

つまり仕事に価値を与えるのも減じるのも
働く我々労働者側の問題という観点もあるのではないでしょうか。

どんなつまらない仕事でも
どうすればもっと効率よくできるか?
もっと上手くできないものだろうか?と知恵を働かせて
創意工夫をする人もいれば、
なんでオレがこんなつまんねえ仕事をしなきゃいけないんだよ
だいたいこんな仕事に意味なんてねえだろう…と
仕事をさらにつまらなくしてしまう人もいるんですね。

ブルシットジョブであっても
キャリア志向を持つ人であれば
ここから何を学ぶことができるのか?
どんなスキルや経験を積めるだろうか?と
ポジティブに転換することもできるはずです。

特に経験が浅い若手のうちは
面白い仕事、やりがいのある仕事ばかりが
自分に回ってくるわけではありません。

その時にやる気をなくして
自堕落な日々を過ごしてしまったり、
嫌々仕事をしているようでは
次のチャンスはやってこないんじゃないですか?

だって隣につまらない仕事でも
こうしてみたらいいんじゃないか?とか
少し変えてみたら結果が出やすくなったとか
そんなふうに前向きに取り組んでいる人がいたら
普通、その人にチャンスを与えますよね。

こうして不貞腐れている人には
益々ブルシットジョブしか来なくなるのです。

もう負のサイクルとしか言いようがありませんけど
原因は他ならぬ自分にあるのですね。

仕事は仕事です。
どんなつまらない仕事でも
誰かがやらねばならない仕事です。

それを子供みたいに感情的になって
やってらんねえとか言ってると
ず~っとブルシットジョブしか来ないですよ。

どんな仕事でも学ぶところがある、
何らかのスキルや経験を身につけようと考えている人とは
比べようもないですし、差が開く一方ではないですか。

キャリアという観点から考えると
3年後、5年後にはとんでもない違いが生まれていそうです。

 

<参考>
医師のキャリア支援としてここ最近の活動報告と今後やりたいこと

 

 

2.ブルシットジョブからの脱却

構図、構造上から
致し方なく生まれるブルシットジョブがある一方で
私たち働く側の心の持ちようで
ブルシットジョブが生まれてしまうということを
ご説明いたしました。

私も自分のことを振り返ってみて
若い頃は何を勘違いしていたのか
偉そうに文句を言ってみたり、
やる気がゼロで不貞腐れていたりなど
今思えば恥ずかしい行動を取っていたことはあります。

しかし大人になるごとに…
経験を重ねるごとに
そういうことはなくなっていきました。

仕事の「神髄」のようなもの
仕事の「本質」に気づけたとか、
社会の仕組みを理解することで
どんな仕事にも意味があることを知ったとか、
部下とか後輩の手前、
そんな恥ずかしい態度は取ってられなくなったとか
いろんな要素、気づきがあったのだと思います。

きっかけは何にせよ
早く気づいたもの勝ちです。

30代も半ばになって
まだブルシットジョブをやってるようでは
ちょっと問題かもしれませんね~。

 

・人生設計とキャリア設計

仮にブルシットジョブであっても
それは誰かがしなければならない仕事ですし、
どんな仕事にも価値はあると考えます。

しかし本人がブルシットジョブだと思っているなら
それは本人の考え方の問題でもあり、
実は自己責任ではないかとも思うのです。

仕事は所詮仕事です。
「事に仕える」のが仕事です。

それがブルシットジョブなのか、
価値ある崇高なジョブなのかは
本当は私たち働く側の気持ちひとつではないかと
そんなふうに思ったりもします。

小野君ね、仕事に面白いとかつまらないなんてないよ。
面白く仕事をする人と
つまらなく仕事をする人がいるだけなんだよ。

私が20代半ばの時、
まだイキっている頃でしょうか。

上長がそう諭してくれました。

この言葉があったらから
私はつまらない仕事をいかに面白くするか、
そこから何を学び、どう工夫して
自分の未来のキャリアに繋げていくのか。

そんなことを考えるようになりました。
キャリアの「原型」とも言えるでしょうか。

いつも言うように
キャリアとは「スキル」と「経験」です。

おそらくキャリアを本当の意味で高めるためには
ブルシットジョブを通じて学べることもあるでしょうし、
むしろブルシットジョブの経験値というのは
先々に有効に作用するのではないかとも思うのです。

私自身もブルシットジョブの経験は
今に活きていると痛感していますので
キャリア設計のひとつのフェーズに
ブルシットジョブを組み込んでもいいのかもしれない
そんなことを考えたりします。

ついでに言うと
ブルシットジョブに対して
どう考えて、どんな態度を取るのか?

これはキャリアの根底にある
生き方、考え方、人生設計にも繋がるのではないでしょうか。

大切なのは
ブルシットジョブを
ブルシットジョブで終わらせない。

そういう自分自身の姿勢なのかもしれませんね。

 

・仕事、労働から活動、働くへの転換

働くって何でしょうか?
労働とはどう違うのでしょうか?

仕事って何でしょうか?
何のために仕事をするのでしょうか?

自分の今やっている仕事は「ジョブ」ですか?
それとも「ワーク」ですか?

一般的な定義の問題ではなく、
自分の定義の問題であると考えます。

私にとって働くとは〇〇です。
働くと労働とは〇〇の点で違うのです。

私は仕事とは〇〇だと考えています。
〇〇を実現するために毎日仕事をしているんです。

このような自分ならではの定義を持つからこそ
自分に適した働き方が明確になり、
実際に手に入れることができるのではないでしょうか。

そしてその延長上にキャリアプランがあり、
どんなスキルをアップするのか?
どんな経験を身につけていくのか?

こんなふうにポジティブな
キャリア人生に繋がっていくのですね。

ブルシットジョブとは異質な世界ですし、
ブルシットジョブを
ブルシットジョブで終わらせないために
「必須」な考え方と言えないでしょうか。

よく言われることですが、
ライスワーク、
つまり食うために働くというのは
決して悪いことではありませんが、
ライクワーク、
要は好きだから働くのほうが
日々モチベーション高く挑めるでしょうし、
ライフワーク、
自分の使命感を持って働いたほうが
さらに質の高い仕事ができるのではないかと思います。

ただ、これ、いきなりライフワークをしようと思っても
おそらく周りが許さないと思います。

いい悪いは別にして単純な世の常です。

ライスワークから始まり、
ライクワークにランクアップして
将来的にライフワークに到達する。

このようなプロセスを経るのが
ごく一般的な展望でしょう。

それを一足飛びにしようとすると
周囲と軋轢を生むことになったり、
実力不足が露呈したりするものなんです。

こういう人に限って
自分はブルシットジョブに苦しんでいる…
そう思っていたりするのですね。

違いますよ。
自分が変われば全てが変わるのですよ。

仕事を楽しくしている人。
毎日モチベーション高く挑んでいる人。

こういう人にヒントがあるのではないでしょうか?
なぜそんなふうに仕事ができるのか?

それこそ飲みにでも行って
語り明かしてみるのもいいと思うんですね。

まあ最近は飲みに行くなんて敬遠されがちですし、
それどころか業務以外は
一切関係を持ちたくないと言う人も少なくないようです。

ただそういう姿勢の人ほど
自分の仕事をブルシットジョブと言いがちに見えます。

悪いのは自分じゃない。
自分にこんなくだらない仕事を与える会社が悪いんだ。
上司にセンスがないんだ。

才能豊かで
もっと活躍する力がある自分を活かせない
この環境が最悪なんだ。

そう言いたいのでしょうけど
社会はそんな仕組みにできあがっていません。

こういう考えを続けてしまうと
自分が不利になるだけです。

もっとピュアに「キャリア」という観点から
自分の仕事を見つめ直してみることをおススメします。

自分と仕事。
自分と職場。

こんな狭い視野ですと
パラドックスから自分を守りたくなるのが人間です。

思い切って二律を脱しましょう。
それがブルシットジョブとさよならする秘訣です。

というか
こんな文章を書きながらふと思いました。

自分をブルシットワーカーにしないのが
最も重要ではないでしょうか?

ブルシットジョブは
自分次第で脱することができますけど
ブルシットワーカーは
何だか厄介な存在ですよね。

あんまり近づきたくない存在かもしれませんね。

 

<参考>
持続可能な医師の働き方とキャリアプランの活かし方!

 

 

*まとめ

職業に貴賤はないと言われますし、
どんな仕事にも意味があるとは思います。

仕事に対してのスタンスだって
メチャクチャモチベーションの高い人もいれば
嫌々ながらしょうがなくする人だっているでしょう。

同じ人だって
その時の状況によって
取り組む姿勢は変わるものでもありますよね。

そう考えると
自分の仕事がブルシットジョブか?という問いよりも
自分はブルシットジョブで終わらせないという姿勢が
自分のためにも、組織のためにも必要ではないでしょうか?

まあ世の中には追い出し部屋みたいなものもあって
辞めさせることが目的のようなヒドイ話しもあります。

人の心を折るためには
無駄なことを続けさせるのが有効らしいですよ。

シャベルで穴を掘らせて
その穴を埋めさせる。

ひたすらこんなことを繰り返させられたら
さすがに嫌になりますよね。

こういう仕事は確かにブルシットジョブでしょうけど
今、ブルシットジョブと思っている目の前の仕事は
ここまでヒドくはないのではないでしょうか。

とするならば
自分の心持ち次第でやりようはあります。

ブルシットジョブをブルシットジョブで終わらせないよう
自分の将来設計、キャリアプランを意識して
打破するきっかけを自分で作りたいですね。

それでは、また…。

 

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