おはようございます。
医師が転職や開業を通して
より良い未来を手にするために
キャリアプランの重要性を発信し続ける
ジーネット株式会社の小野勝広です。
仕事とか、働くというのは
時代や社会によって
だいぶ異なるのだろうなと思います。
江戸時代や明治時代と違うのは当然のことながら
昭和や平成ともだいぶ変わってきていますし、
現代社会が必ずしもいいのかどうかは何とも言えません。
学校を卒業して大人になれば
働かざるもの食うべからずとなりますけど
ベーシックインカムの議論があったり、
さらにAI化が進めば
私たちの仕事、働くは
また全然違うものになる可能性もあります。
私たちは表層的に受け止めるだけでなく
少なくとも自分が働く期間、
今だと40年とか、50年になるでしょうか。
せめてその期間では通じる確固たる
自分ならではの哲学を持てるといいかと思います。
とは言いつつも
そう簡単に答えらしきものが手に入るとは思えず
やはりずっと問い続けていくのがいいのでしょうね。
仕事って何だ?
働くってどういうことだ?
それは何のために?と…。
私自身も自分なりに確固としたものが
何となく確立できたのは
30代後半くらいだったように思います。
ただそこからさらに深く深く問い続けて
年々ブラッシュアップした考え方を
手に入れることができているような感じです。
これでいいんだという
ゴールがあるものではありませんから
それこそ引退するまで
ずっとより良いものを追求していく所存です。
本日のブログのタイトルは、
【 仕事って何だ?働くってどういうことだ? 】
といたしました。
<目次>
1.定義しないと始まらない?
・仕事とは?
・働くとは?
2.医師という職業の特殊性
・神か?仏か?科学か?
・定義を前提にキャリアを考える
*まとめ
1.定義しないと始まらない?
令和の時代、
昭和や平成とは異なる価値観が広がり、
Z世代なんて用語が市民権を得ています。
Z世代の次は何になるんだろう?と思いますし(笑)
若い頃は新人類と呼ばれた私の世代には理解できない
不思議な価値観が広がりを見せていますね。
ただ表面的な部分では
かなりの違いがあっても、
突き詰めた「本質」の領域に踏み込むと
そうは変わらない何かがあると思うのです。
人類には良くも悪くもですけど
何千年という歴史があるわけですし、
その間には革命的な変化だって
何度もあったわけですよね。
そういう観点で考えると
私たちは身の回りにあるものの「定義」を
しっかり考えておくべきと言えるでしょうか。
正しいとか間違っているとか
自分に合うとか合わないとか、
そういう領域を踏み越えて
〇〇についてはこう考えていますと
自信を持って言える自分になっておくのは
今の世の中では結構重要なことではないかと考えます。
世間一般的な定義と
自分の定義にギャップがあってもいいでしょう。
どっちが合っているかは
数年後にならないとわかりませんし、
むしろしっかり世間一般の定義も理解しているけど
自分はこう思うんだよねという
オリジナルな見解を持つことも
これからの人生のなかで実に大事ではないかと思います。
・仕事とは?
さて、まずは仕事を私なりに「定義」します。
だいたい漢字の単語は
中国から流入したものが多いので
反対から読むといいというのが私の持論です。
すると仕事とは「事に仕える」となりますね。
コトバンクによると「事」とは…
1 世の中に起こる、自然または人事の現象。事柄。出来事。
2 大変な事態。重大な出来事。
3 仕事。用件。
4 物事の状態や経過。また、それを中心とした事情。いきさつ。
5
㋐行事や儀式。
㋑生命。
㋒言外に了解されている、ある事柄。例のこと。
㋓食事。特に、僧の夜食。
このようになっています。
ここではあまり難しく考えずに
出来事と受け止めるのがいいでしょうか。
さらに「仕える」を調べてみますと…
1 目上の人のそばにいて、その人に奉仕する。
2 役所などの公的な機関につとめる。官職に就く。
3 神仏に奉仕する。
奉仕という言葉が適しているように思えます。
つまり「出来事」に「奉仕する」のが
仕事であると言ってもいいでしょうか。
どうしても私たちにとっての仕事は
ライスワーク、食べるために仕事をするとか
学校を卒業したのだから仕事をしなきゃとか
組織やクライアントに貢献するために仕事をするとか
社会人として仕事をしなきゃとか
経営者や上司に認められるために仕事をするとか
こんな世知辛い発想が頭を占めていたりしませんか?
病院とか、会社とか、上司とか、
組織の論理に惑わされているとも言えそうです。
もっとシンプルに「事に仕える」
目の前の「出来事に奉仕する」という
大原則の部分を
私たちはもっと大切にしたほうが良いかもしれません。
やれ仕事の報酬とか
仕事の対価とか
仕事のやり甲斐とか
どうしても資本主義的な構図に巻き込まれたり
エモーショナルになり過ぎたり
もっとピュアに仕事だけに立ち向かえたら
多くの人が幸せになるような気がするのですが
皆さんはご自身の仕事をどうお考えになりますか?
ちなみに私にとっての仕事は趣味みたいなものでして
完全にライフワークになっていて
ワークライフバランスなんて要らずに
ワークライフインテグレーションになっています。
あんまり仕事という感じではなく
どちらかと言えば「活動」という言葉のほうが近いです。
いいのかどうかはわかりませんし、
バカみたいに年柄年中仕事をしていますので
私のような働き方が向かない人は多いとも思います。
こうしたら喜んでくれる人がいるかもしれない。
自分を信用して頼ってくれる人がいる。
自分の仕事が誰かのためになっている。
もうこれだけで私にとっては仕事をする理由になるのですね。
これは経営者だからできる事かもしれませんし、
もともと営業上がりで売る力があるからかもしれません。
ただ私が社会人になって早くも33年が経ちますが
特別こういう方向を望んでいたというよりも
日々真面目に仕事をしてきたら
たまたまこんなふうになってきて
自分にとってはわりと心地よいというだけなのです。
まあこんなふうに達観できるようになったのは
それこそ30代も後半くらいからなんですけどね。
売上とか、ノルマとか、
経営とか、昇給とか、賞与とか
そういうことも大事ですけど
「事に仕える」、「出来事に奉仕する」
こういった観点で仕事を考えてみるのも
時には有効ではないでしょうか。
私の経験上でも
仕事観とか、仕事論って
ホント人それぞれであって
これが正解だ!なんてものはありません。
だから私と皆さんでは大いに違うでしょうし、
むしろそれが当然でもあり、
誰かと比較したりするのではなく
自分はどうなんだ、自分はどうなりたいんだと
どこまでも追求していくのが良さそうですね。
・働くとは?
では働くとは何でしょうか?
よく言われることですが、
「傍を楽にする」というのが
私はかなりしっくりきます。
最近の人ですと
この仕事…何の意味があるんですか?
なぜこれをやらなきゃいけないんですか?というように
仕事に意味や目的を求めますし、
良いマネージャーはそれを理解させるのが仕事だとか
何だかおかしなことが言われますけど
私に言わせればちゃんちゃらおかしいのです。
だって仕事とか、働くとか、
その構図、構造を考えれば
あとは辿り着く結論というのは
誰でもほとんど同じであって
そこに意味や目的はすでに内包されているのです。
それに気づかずして
意味や目的を求めるなんていうのは
あまりにも無知、そして物事を考えなさ過ぎ、
社会を知らな過ぎると言ってもいいのではないでしょうか。
ちょっと厳しいことを言っているのは百も承知ですが
「甘え」に思えて仕方ありません。
なんてことを言うと
昭和生まれはダメだなとか言われるじゃないですか。
いやいやこれもおかしな話しですよ。
確かに私は昭和生まれで
昭和的な価値観で育ってきましたが
その辺の若い方よりも現代を勉強していますし
感覚としては10代、20代の人と握手できることも多いです。
それはなぜか?
未来を見据えているからです。
これからの時代の仕事とはどうなるのか?
働くとは今後どう変わっていくのか?
メチャクチャ学んでいますし
相当に熟慮し続けています。
だから甘ったれのクレクレ君に
何を言われようとも全くブレませんし、
むしろ私はZ世代の次の世代とは
意外と相性がいいんじゃないかとも考えています。
なぜならサバイバルに真摯に向き合っていて
ITやAIやSNSを空気を吸うように使っていて
新しい世の中を創りあげていくような
そんな力強さを感じるからです。
もちろん世代はZでも、
ガムシャラに働いたり
世の中を良くしようと頑張っている人は
それなりに存在するでしょう。
しかし仕事したくねえ~
出勤したくねえ~
やる気ねえ~
一生遊んで暮らしたい~
早くFIREしたい~とか…。
そりゃ気持ちはわかりますけどね
でもそんなん言ってちゃダメだと思うんですよ。
だって働くとは「傍を楽にする」ことなんですよ。
あなたの住んでいる家、
あなたの着ている洋服、
あなたのスマホやパソコン、
あなたの毎日の食事、
あなたの移動手段、
あなたの旅行、
あらゆるものが誰かが働いてくれていて
その結果を享受しているのではないですか。
これもZ世代の特徴かもしれませんが
受け取るものは何でも受け取る
自分にメリットのあるものは欲しがる、
でも誰かに与えるとか、
誰かにメリットを与えることはせずに
自分のデメリットは
やれハラスメントだ、
昭和世代には付いていけね~
楽して生きて~って言われても
そうだねとは言えませんよね。
まあ実際には言うだけで
きちんと働いている人も多いでしょうから
全否定するつもりはありませんけど
自分がこの世の中で
たくさんの人に生かされていると考えれば
働きたくね~とか言ってられなくありませんか?
仮にちっぽけなものでも
「傍を楽にする」ために
小さな貢献をし続けるからこそ
その恩恵を自分も受けられるのではないでしょうか。
そう考えれば
モチベーションが下がった時に
踏ん張れませんかね?
「今だけカネだけ自分だけ」と考えていたら
数年後にヒドイ状況に陥っているかもしれませんよ。
自分のことばかり考えているから
働きたくなくなるのではないでしょうか?
これは今だけでも、カネだけでも、
そのまま通用するように思えます。
なんて偉そうに言う私も
こういうことを考えるようになったのは
30歳を過ぎた頃でしたでしょうか。
20代なんてハチャメチャでしたので
全然偉そうなことは言えないんですけど
気づいてからは世の中の仕組みが見えるようになり、
社会の構図、構造を考えるようになって
自分自身が何をすべきか?が
段々とわかるようになったように思います。
そこから「キャリア」というものを
大事に考えるようになったのです。
働きたくないなら
それはしょうがないですし、
誰も何も言わないでしょうけど
数年後にその結果を味わうのは自分自身です。
後悔は先に立たずですし、
年を取れば取るほどに
転職マーケットは不利になります。
働きたいとか、働きたくないとか、
もうそういう次元でモノを考えるのではなくて
どうせ働かなきゃいけないのですから
いかに面白おかしく働くか?
どう働ければ毎日が充実するのか?
そっちに思いを持っていき、
自分の未来をより良いものとするために
ワクワクしながら働くのが良いのではないでしょうか。
<参考>
働くって何だろう?なんで働かなきゃいけないんだろう?
2.医師という職業の特殊性
我が国は先進国から滑り落ちてしまっているわりには
まだ庶民の生活は何とかギリギリ維持できているでしょうか。
そうは言っても二極化は進み、
勝ち組と言われる人は
自分のことを相当に優秀で
世の中の役に立っていると思っているのでしょうけど
何億円もの報酬を当たり前のように受け取り
その一方で年収が200万とか300万の人も多くいます。
これをどう考えて
いかに受け止めればいいでしょうか。
人それぞれで様々な思いがあると思いますけど
どんな人でも変わらないものがあって
それは「命」であり「医療」ではないでしょうか。
どんなに裕福な人でも
暮らし向きが厳しい人でも
病気になれば医療機関に罹るわけで
必要があれば手術をしたり
診断をしてもらい、
治療計画を立てて、薬を飲んだり、
リハビリしたり、緩和医療を受けたりするのです。
自由診療の問題であったり、
生活保護の問題などはあるものの
原則的に日本人は医療を等しく受けることができますね。
医師はその中心的な存在であり、
優れた希少性の高い専門職であると思います。
それが証拠に社会的なステータスを
ずっと維持し続けてきているのですが
若干風向きが変わりつつあるとも言えるでしょうか?
・神か?仏か?科学か?
古代から中世では
医師の存在とは限りなく神に近く
東洋であれば仏様に近い存在だったと言えるでしょうか。
近代に入っても
赤ひげ先生などが代表的であったように
医師とは病気やケガを治す魔法使いのような
そんな存在だったのかもしれません。
なかにはナチス政権や日本の731部隊など
医学が悪用された歴史もありますが、
「民」に取って医師の存在は有難いものであったはずです。
大半の医師は
患者の病を癒すために
孤軍奮闘してくれていたのですよね。
現代に入ってからは
西洋医学が主流になり
科学として飛躍的な発展を果たしましたけど
その分だけ神様的な要素は消えてしまいましたでしょうか。
それでも私は医師免許というのは
我が国最高の国家資格であると思ってますし、
事実、医師は医療現場だけでなく
社会の様々なところで活躍していますよね。
それだけ優秀な人が集まっているわけですが、
見方を変えれば
患者を治療する医師だけでなく
社会を治療する医師という側面もありそうです。
うろ覚えですけど
幕末の志士である長州藩の久坂玄瑞は
医師家系の出身で
松下村塾で吉田松陰に学んだあと
世に出る時に、
この国を治療するとか言ったとか言わないとか。
実際に現代でも
政治家になる医師もいれば
医系技官として官僚になる医師もいれば
起業して上場企業を作る医師もいれば
歌手や作家となる医師もいらっしゃいますね。
羨ましいほどの才能ではありますが、
私はその根底に「人」を診るという習性が
社会で受け入れられているのではないかと考えます。
もともと診断を付けるという行為を
日常的にされてきて
「分析」する力が身に付いているのではないでしょうか。
それは当然医療現場では最大限力を発揮しますけど
それ以外のところでもプラスになると思います。
以前、外来が好きで得意だとおっしゃっていた医師と
存分に話し合ったことがあったのですが、
問診の内容や既往歴だけでなく
患者さんがドアを開けた瞬間から
ずっと診察をしているとおっしゃっていました。
立ち居振る舞い、顔色、声音、姿勢など
もうあらゆるものを観察しているそうです。
優秀な医師であれば
そんなの当たり前だ、普通だと思えるらしいですが
いや~そんなに簡単なことではないと思いますよ。
若い頃からの訓練の賜物でしょうし、
患者の病気を正確に診断してこその治療な訳ですから
何より本気度が高いとも言えそうです。
でもよく考えてみれば
医師以外の他の職業であっても
プロフェッショナルというのは
それだけ自分の仕事にプライドを持っていて
誰よりも真剣に向き合っているものですよね。
私のようなコンサルタントなどは
モチベーションと仕事に向かう姿勢だけで
相当に結果も異なるような気がします。
医師の場合は
現代においても神様的な要素は残っているでしょうし、
奇跡のようなことだって起こり得ますよね。
だから仕事としても矜持が高いのですし、
医師が働くということ自体に
すでに高い価値が存在しているのではないかと思います。
X(旧twitter)などを見ていると
働きたくね~とか、出勤したくね~とか、
もう医者辞めて~とか、美容行きて~など
こんな愚痴を投稿する方も多いようですが、
これは本音ではなく
本当は医師という職業の矜持をよく知り
本気で医療に向き合っている…。
そう信じたいですが
いかがなものでしょうかね?
SNSに本音を書いているのかはわかりませんし、
特にX(twitter)の場合は
匿名OKということもあり、
大した意味もなく書き込むことは少なくないかもしれません。
ただネガティブな投稿は
できるだけ控えたほうがいいのではないかと思います。
・定義を前提にキャリアを考える
仕事にどういうスタンスで挑んでいるか?
全身全霊で、本気で働いているのか?
別に24時間365日を猛烈に働けとも思いませんし、
人間ってのはそんなに立派なものでもないでしょう。
ただモチベーションが下がった時とか
今ひとつ気持ちが乗らない時にでも
自分の心持ちで何とかするのが
大人であり、プロであり、
社会の一員としての責務ではないでしょうか。
私の見たところですが、
トータルとして一生懸命仕事をしている人は
そうでない人と比較して
「キャリア」への意識が高い気がします。
これは別にいつもキャリアを考えているということではなく、
もっと上手にできるようになりたいとか、
もっと知識を深めたいとか、
要は「スキル」や「経験」を身につけたいという思いが
かなり高いということです。
もっと言ってしまえば
こうなりたいという目標があり、
そこに到達したいがために
1件1件の仕事に対して本気で立ち向かっているのですね。
自分なりの目標を持つとともに
なぜ目標を達成したいのかという目的についても
自分らしく強く持っており、
だからこそ日々の研鑽を高水準で続けていくことができる。
そんな好循環があるように思えます。
私はもう10年以上も
医師にもキャリアプランが必要です!と
何度もしつこく発信し続けてきていますが、
それはキャリアプランを達成するとかしないとか、
そういう問題だけではなく、
すでにキャリアプランを持てた時点で
毎日の仕事が充実していくという面もあるからなのですね。
人生ってのは仕事だけじゃない。
そんなことを言う人もいますけど
当たり前じゃないですか!
どんなに真面目に、必死に仕事をしている人でも
仕事以外にも大切なことは必ずあるに決まってます。
仕事をしたくない言い訳にしか聞こえませんよ。
そういう人が集まって
声高に仕事だけじゃね~と言っても
誰も耳を傾けません。
例えば家事です。
仕事を、「事に仕える」、
「出来事に奉仕する」と定義付けたら
家事も最高の仕事だと思うんです。
働くを、「傍を楽にする」と考えたら
専業主婦(夫)が家を守るから
安心して外で働くことができて
まだ見ぬ顧客に対しても
何らかの商品やサービスを届けられるようになるのです。
家事があってこそなのですよね。
そう考えたら医療だって
ビジネスパーソンが思い切って仕事をできるのも
医療が高齢者を守り、
私たちを病気やケガから救ってくれるから
経済をグルグル回していけるわけです。
仕事とは、働くとは、
社会の隅々まで届いていくものなのですよね。
そうやって世のため人のために尽くせる自分、
役に立ち、貢献できるようになる自分を求めるのが
「キャリア」ということになるのです。
「スキル」と「経験」ですね。
仕事ってそういうものではないでしょうか?
働く価値とはこういうものではないでしょうか?
働きたくね~とか
仕事は嫌いだ~とか
楽して稼ぎて~とか、
そんなことを言っていたら
私たちの子孫が苦しむだけですよ。
最高のモチベーションだなんて言いませんけど
文句を言わずに黙って働くからこそ
社会のために、子供たちのためになるのではないですか?
私はこんなことを考えるようになってから
モチベーションは常に高くなりましたけど
他の方はどうお考えになられますか?
別に私の言うことが正しいということではなく
たまたま私はこうだというだけの話しなのですが、
賛同してくれる人がいらっしゃったら勇気が湧きますね。
自分にとっての仕事とは?
働くとはどういうことだろう?
時々自分のなかで振り返ってみて
自分が成長できるように
自分で確固たる方向性を見つけていきたいものですね。
<参考>
後世に残す仕事をしよう!
*まとめ
個人的見解としての仕事論、働くとは?ですが
いかがでしたでしょうか?
最近の私は朝から晩まで
8時30分くらいから23時過ぎまで働いていますし
土日も丸々1日休むことなんてありませんし、
休みの日に出勤するのも苦ではありません。
でも弊社は超ホワイトな働き方を実践しており
業務時間内に自己研鑽タイムがあるくらいです。
就業時間も融通が効きますし、
時間外労働はありません。
私個人と会社では水と油みたいなものです。
私は、自分の働き方が異常だと思っているので
社員たちにそれは求めませんし、
他の人に真似はして欲しくないです。
そもそも私は有給休暇を100%消化する人間でしたし
正直、あんまり仕事は好きではなかったのです。
それが30代後半くらいから徐々に変わってきて
弊社ジーネットを経営するようになってから
こんなふうになってしまったのです。
なぜこんなことができるのか?
ぶっちゃけ私は仕事してません。
働いてもいません。
だからできるんです。
そこに私を求めてくれている人がいて
ただその人のために頑張ってるだけです。
仕事とか、働くとか、
そんな感じではなく
しいて言うなら「活動」してるだけなのです。
だからできるのです。
でもこんな環境にいる人は少ないので
私みたいに働いてはダメだと思っていて
むしろ否定、批判したいくらいです。
個々それぞれの働き方。
その根底には今まで生きてきた人生があり、
理想の働き方、理想の仕事があるわけで
それを完璧に叶えてくれる職場なんて
そうそうないと思うんですね。
どこで折り合いを付けるか?
どうしても自分と組織では
相反するところがあるのですから
この折り合いが付かないと
どこの職場に行っても不満だらけとなり
ジョブホッパーのように
職を転々とすることになりかねません。
仕事って何だ?
働くってどういうことだ?
やはりここを確立させないと
いつまで経っても、どこに行っても
折り合いが付かないということになってしまいます。
ただ難しいのは
同じ人でも、年齢や経験、環境によって
思うことは異なってしまうことです。
こればかりはいかんともしがたいですが
できることならその根幹というか、
本質のところは変わらないところまで辿り着きたいですね。
そういう人は
自分らしいキャリアを構築することができますし、
充実した医師人生を送ることができるのではないでしょうか。
それでは、また…。
*ジーネットTV youtubeにて医師のキャリアについてお話ししています。
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